
FEEL
是什麼?!
Q1. [feel]シリーズを描くようになったきっかけはなんですか?
契機是在創作FEEL之前,NET SOCIETY系列的影響下。 網路上眾多的情報,網路的人際關係,以及匿名性為主題,引用以前日本美術以及琳派的作品做為表現的手法。
*琳派: 以大和繪的傳統為基盤,擁有豊富的裝飾性・設計性,加上以繪畫為中心,統括書法、工藝的總合性。 相對於狩野派、圓山・四條派等其他江戶時代的流派,透過模寫直接向繪師學習畫技,琳派的傳承不問時間、 場所、身分之差,是其他派未見的特色。琳派對歐洲的印象派、現代的日本畫、設計帶來相當大的影響。 特色是使用金銀箔作背景、大膽的構圖、反覆使用型紙的圖案、「溜込」的技法等。 題材多花木・草花,但是,也有以物語繪為中心的人物畫、鳥獸、山水,或若干的佛畫。
沒有臉的人們隱藏在雲裡面塗鴉的作品,以及擁有智慧手機臉的鶴群被繩子綑綁在一起的作品。 在資訊眾多的「吵雜世界」使用反諷嘲笑的手法表現, 雖然使用的是同一種主題,但在表現的手法上是不同的,這就是FEEL的創作契機。
Q1. FEEL系列的創作契機是什麼呢?
きっかけは、[feel]の前に描いていた[Net Society]シリーズの影響でした。
ネットの情報の多さ、ネットの人間関係、匿名性をテーマにして、
昔の日本美術や琳派の作品を引用して表現していました。
顔の無い人々が雲に隠れながら落書きし合う作品や、スマートフォンの顔をした鶴の群れがロープでつながれている作品などを描きました。
情報がいっぱいで「うるさい世界」を、シニカルに表現していました。
しかし、同じテーマを使ってもっと違うアプローチで表現をしたいと
思うようになりました。
それが[feel]を描くようになったきっかけです。
Q2 .[feel]シリーズはどうやって作られたのですか?
[Net Society]系列是以「吵鬧的世界」、「很吵!」這種口語方式直接表現, 但是在[FEEL]系列我想以更溫柔的方式傳達。
在情報資訊眾多的「吵鬧的世界」中,如同<搖籃曲>一般溫柔的作品。
FEEL系列作品的靈感材料收集有三個方向;
第一個是英國樂團Radiohead的[No Surprises]這首歌曲, 這首曲子的曲調如同<搖籃曲>一般的溫暖以及優美,但歌詞的內容
「於是我只好選擇一種平靜的生活, 與二氧化碳把手言歡」卻反諷著這社會。
若歌詞的內容改成「於是我只好選擇一種平靜的生活,與情報過多的社會把手言歡」就會變成FEEL的創作概念。
第二個材料是日光東照宮的[三勿猴],想用簡單的方式讓人了解以前的人是如何思考訊息這件事情的,
「小時候,請不要看多餘的訊息,並且不聽,不說」只想簡單的傳達出這個訊息, 這剛好吻合我印象中<搖籃曲>一般的內容,所以將這三隻猴子融為一體的表現方式, 代表著不聽、不看、不說,用心去溝通的人類; FEEL的原型就在此決定了。
[Net Society]シリーズは「うるさい世界」を「うるさい!」と言うように
比較的そのまま直接表現していました。
なので[feel] は、もっと優しい表現にしたいと思いました。
情報がいっぱいで「うるさい世界」に流れる<子守唄>のような、
優しい作品にしたいと思いました。
私は作品を作る時に、インスピレーションの材料を集めます。
[feel]の場合は、3つの材料を集めました。
まず1つ目の材料は、
Radioheadの[No Surprises]という曲でした。
この曲は<子守唄>のような温かくて美しい曲ですが、
歌詞の内容は「一酸化炭素と握手して、穏やかに暮らそう」など、社会への皮肉を歌っている曲です。
この歌詞の内容を「情報過多社会と握手して、穏やかに暮らそう」に
変えたら私が[feel]で表現したいコンセプトになると思いました。
2つ目の材料は日光東照宮にある[三猿]でした。
昔の人は、どうゆうふうに情報のことを考えていたのかをわかりやすく
表現している作品です。
「子供の頃は、余計な情報は見ない、聞かない、言わないようにしなさい。」
というシンプルなメッセージです。
私のイメージする<子守唄>の様な作品にピッタリな内容だと思いました。
そして、この三匹の猿を一つの体にして表現したいと思いました。
情報を見ず、聞かず、言わず、心でコミニュケーションをとる人間を
描きたいと思いました。
[feel]のコンセプトはここで決まりました。
3つ目の材料は、[顔文字]です。
私の世代は携帯電話が一般化して、メールを使い始めた世代です。
文章を送信するだけではなく、記号を組み合わせた[顔文字]を使って
感情を表現することでコミニュケーションをとっていました。
(u_u)目をつぶっている顔には u が二つ使われているので
<見猿 NotSeeing >が表現できると思いました。
(ちなみに一番最初に描いたfeelは、[顔文字]は使っていませんでした。)
この[No Surprises]、[三猿]、[顔文字] の3つの
材料で
[feel]シリーズを作るという事が決まりました。
Q2.FEEL系列是怎樣創作出來的呢?
Q 3.[feel]のビジュアルはどうやってできたのですか?
Q3. FEEL的視覺效果是如何產生的呢?
FEEL,並不是直接描繪「人類」真實的模樣,所有的生物都在進化階段, 我想人類作為大自然的一個部份也在進化的途中,並不是獨立特別的一個部份。
所以FEEL表現的是正在從猿猴進化成佛這個演化途徑中的人類,
同時擁有近化論和佛教思想,兩者交錯產生的;進而創造出擁有猿猴的臉,頭頂有著如同佛陀ㄧ般的法螺的人類雛型。
而參考三勿猴,遮住眼睛、沒有耳朵、沒有嘴巴的臉。
「uu8」=「Weight」則是代表著活著這件事情;人類常常想從重力中解放,自在的活著,想飛上天空、 想辭掉工作、想離婚、想死...,等等的想法,但是,人類因為有重量,並且必須跟這份重量共生共存,所以我想借此表達: 正因有此份重量,所以我們活著。
臉上的◯△□用來傳達禪的思想, ◯代表著真理, △代表著坐禪的形狀,
□則是進入禪學的入口處;借此傳達禪思想中的「以心傳心」, 從心到心的這種想法;FEEL所描繪的其實就是「以心傳心」的溝通方式,也就是說FEEL就是禪學思想的一個篇章。
[feel]では、「人間」をそのままリアルに描きたくありませんでした。
それは全ての生き物は 進化の途中の状態 だと思っているからです。
私は「人間」も進化の途中の状態だと思っていますし、「人間」も自然の中の一部で、特別な存在だとも思っていません。
なので[feel]では、猿から仏への進化の途中として「人間」を描いています。
進化論と仏教の思想を混ぜて考えています。
なので、結果的に猿のような顔で、頭には仏のような螺髪が生えた「人間」になりました。
そして[三猿]を参考に 目をつぶり、耳が無く、口もない顔になりました。
「uu8」=「Weight」は、生きていると言うことを表現しています。
人間は常に重力(Weight)から解放されたいと思いながら生きています。
空を飛びたい、仕事を辞めたい、離婚したい、死にたい、、とか。
しかし、人間には重さ(Weight)があって、重さ(Weight)と一緒に生きていかなければならない。重さ(Weight)があるから生きている。
という事を伝えたいと思いました。
そして、顔の○△□は禅の思想を表しています。
◯は真理、△は座禅の形、□は禅の入り口を意味しています。
禅の思想は、心から心へ「以心伝心」という方法で伝えられています。
[feel]に描かれている人間はこの「以心伝心」でコミニュケーションをとっています。
つまり[feel]は、禅の思想がベースになっています。
Q4 .[feel]に描かれた人間は、なぜ文字や記号やシンボルで描かれているのですか?
Q4.為什麼FEEL系列都是以文字、記號、
象徵的繪畫方式表達呢?
我在研究所時期學習日本畫。
日本古代的美術,特別是如同琳派圖像化設計這樣的表現方式, 以及禪畫記號的表現方式都是我非常喜歡的運用手法,所以我自己也一直延續此種起源方式去表現, 這是最重要的理由。
如同歐美的繪畫一般,沒有使用陰影,直接是平面的手法中, 也反映著日本美術的意識,使用可愛的玩偶人物完成作品也蘊藏著日本人的一種個性「幼型成熟」的意識在其中。
在日本,就算已經成人,還在看漫畫、玩電動或是蒐集玩具的人還是很多。 日本藝術家的作品特徵中「幼型成熟」算是其中一種共通點,所以將此作為日本人的個性之一去創作作品。
私は大学院まで日本画を学んでいました。
日本の古い美術、特に琳派のパターン化されたデザインのような表現方法や
禅画の記号的な表現がとても好きです。そして、自分もそのルーツに沿って
表現したい。というのが一番の理由です。
欧米の絵画のような陰影を使わないで平面のレイヤーで描いているのも、
日本美術を意識しているからです。
可愛らしいキャラクターのような作品になったのは、日本人の個性の一つ
「ネオテニー(neoteny)」を意識しているからです。
日本には大人になっても漫画やゲームやアニメを観て、人形やおもちゃを集めている人がたくさんいます。日本人のアーティストの作品の特徴も「ネオテニー(neoteny)」が共通していると思います。
そういった日本人の個性も意識して、作品にしています。
Q5 .[feel]には人数がたくさんの作品や、一人だけの作品がありますが
どんな意味がありますか?
Q5.FEEL這個系列有人數很多的表現方式,
也有一個人的表現方式,
這是有蘊含什麼意思在裡面嗎?
FEEL是以「以心傳心」作為主題,例如:看到五個人的作品時會有人想到家人、想到朋友、 想到社會中認識的人;大家各自都有所想到的關係對象,若可以思考一下和這些對象用心去對話, 就是件值得開心的事情。
一個人的作品時,可以想著和自身對話、和親友或是和戀人對話,不透過語言,不透過溝通, 也不透過眼神,所以我想勢必只能透過心來對話了。
[feel]は、以心伝心をテーマにしています。
例えば五人の作品を観て 家族が浮かぶ人、友達が浮かぶ人、会社の人が浮かぶ人もいるでしょう。
それぞれが思った関係の人と心で会話していると思ってもらえたら嬉しいです。
一人の作品も、自分だと思って会話してもいいですし、親友や恋人と思ってもいいと思います。しかし、彼らは喋らないし、聞いてないし、見えてはいません。
ですがきっと心で会話できると思います。